自分はこうして英語ができるようになった話|英語との向き合い方が変わったきっかけ。ガチガチの文法を捨てて「中学生レベル」で生き残る生存戦略
こんにちは、ごろうです!
前回のハプニング記事では、アデレードに到着した初日にいきなり抗原検査で陽性判定(のちの偽陽性)を受け、ホストマザーの先導でガタゴトと現地の公共交通機関に揺られながら病院へ向かい、部屋に完全隔離された絶望的な最初の24時間について語りました。そんな怒涛のスタートを切った私の留学生活ですが、現地で生活を始めるにあたって、避けては通れないもう一つの巨大な壁、というか人生最大の難敵が目の前に立ちはだかっていました。それが「英語」です。
今でこそ、こうして海外での経験をブログに書いたり、現地での生活やフライトをスマートにこなしたりできるようになりましたが、最初から英語が得意だったわけでは決してありません。断言しますが、最初からセンスがあったわけでも、帰国子女だったわけでもない。むしろ、英語ができるようになるまで、自分はずっと英語という教科が大の苦手で、コンプレックスの塊でした。
正直に言うと、日本にいた頃の私は、
「英語なんて勉強する意味がそもそも分からないし、日本にいれば日本語だけでできなくても一生困らないし、何のためにやってるの?」
と、本気でそう思って斜に構えていたタイプの人間にすぎませんでした。
そんな英語拒絶人間であり、学校の授業からも全力で逃げ回っていた自分が、留学という環境に身を置いたことをきっかけに、少しずつ、しかし人生の根底からひっくり返るくらい確実に英語に対する考え方や向き合い方が変わっていきました。今回は、ネットによくある「シャワーのように英語を浴びろ」とか「単語帳を何周しろ」「シャドーイングを毎日1時間やれ」といった、聞くだけで耳が痛くなるような量産型のつまらない勉強法の話は一切しません。私という一人の英語嫌いの人間が、現地の空気の中でどんな泥泥の過程を経て英語という言語に慣れていったのか、そのリアルな変化の裏側を100%体験ベースで書いてみようと思います。「英語を話したいけれど、文法が怖くて口が開けない」「間違えたら恥ずかしい」と悩んでフリーズしている人は、ぜひこの生存戦略を脳内にインストールしていってください!
目次
- 1. 留学前の自分と英語の距離感:テストの点数に絶望し「できなくても困らない」と言い訳していた日々
- 2. 英語に対する考え方が変わり始めた時:完璧じゃなくても通じるという「成功体験」の衝撃
- 3. 留学中に意識していたこと:沈黙をパージし「Oh! I mistake!」と笑い飛ばす無敵のマインドセット
- 4. 今振り返って思うこと:関係詞whenは「〜の時」で十分。ガチガチの文法主義を捨てる実用論
- 5. 最後に:当時の自分に一言だけ言うとしたら「そんな勉強するくらいなら、英語を話せ」
1. 留学前の自分と英語の距離感:テストの点数に絶望し「できなくても困らない」と言い訳していた日々
まず、留学前の私がどれほど英語に対して心を閉ざし、分厚い心のシャッターを下ろしていたか、その絶望的な距離感からリアルにお話しします。当時の私は、とにかく英語が苦手で、教科書が視界に入るのも嫌だというレベルでやりたくないと思っていました。先述の通り、やる意味が1ミリも理解できず、「どうせ日本から出ないし、日本の会社で働くんだから使わないし、できなくても自分の人生には何の問題もない、関係ない」と、完全に酸っぱいブドウの理論で自分を正当化し、言い訳のバリケードを築いて逃げ回っていたのです。
当時の私の英語レベルを一言で言うなら、完全に壊滅状態。特に、長文を「読む」という行為に対して凄まじい苦手意識を抱いていました。アルファベットがびっしりと並んだ紙面を見ただけで脳の処理がストップし、拒絶反応が出るような状態だったのです。
その厳しい実態が最もはっきりと、そして残酷な形で可視化される場面が、学校の定期テストや模試でした。周りの奴らがスラスラとペンを走らせている中、自分だけが時計を何度も見上げながら冷や汗を流す時間。そして、毎回のように容赦のない点数と赤字の数字が印刷されて返ってくるたび、それを見るのが本当に、本当に苦痛でした。そして、その悪い点数を見るたびに「ほら、やっぱり自分は英語のセンスがないんだ、できないんだな…」と、自分で自分に無能の烙印を押し、さらに勉強へのモチベーションが消え失せて英語から距離を置くという、最悪の負のスパイラルの中にどっぷりと浸かっていました。あの頃の自分にとって、英語は「自分を傷つけ、自己肯定感をゴリゴリと削り取るだけの不快なパズル」でしかありませんでした。そんな奴が、オーストラリアの地に放り出されたわけです。
2. 英語に対する考え方が変わり始めた時:完璧じゃなくても通じるという「成功体験」の衝撃
そんな英語アレルギーの極みにいた私が、英語に対する考え方を180度ガラリと変え始めることになったのは、留学中から帰国後にかけた期間でした。なぜ、あそこまで頑なに英語を拒絶していた人間の脳内が、まるでフライトの高度を変えるように一激で入れ替わったのか。その最大の、そして決定的な大きなきっかけは、「完璧じゃなくても、自分のブロークンな英語が目の前のリアルな相手に通じたこと」でした。
前々回の記事で語った、アデレード空港の税関での出来事もまさにその原点です。食品検査でアルファ米のおにぎりを手に持った税関職員を前にして、私はパニックになりながらも、
“This is onigiri. I use hot water. Hot water in this, and wait few minute. I can eat onigiri.”
と、中学生の単語をただ並べただけの必死の英語をぶつけました。日本の英語のテストなら、構文がどうだの、表現が幼稚だのと減点対象にされるようなボロボロの英文です。しかし、目の前の大柄なオーストラリア人の職員は、一瞬キョトンとした後に大爆笑して「ワオ、セーフだ!良い旅を!」とOKを出してくれました。あの瞬間、私の脳内に走った衝撃は言葉にできませんでした。
海外の人と実際にリアルな会話を重ねていく中で、強烈な事実に気づかされました。文法的にはめちゃくちゃで、時制も単数複数の概念も崩壊しているような英語であっても、こちらのパッションと最低限の単語さえあれば、目の前のネイティブスピーカーや現地の友達には、驚くほど普通に自分の意図が伝わるという経験が、少しずつ、でも確実に、毎日の生活の中で増えていったのです。
その頃から、自分の中で「英語のテストの点数を上げるための勉強」よりも、「英語を使うときの、自分の気持ちの変化」の方が、遥かに大きなウェイトを占めるようになっていきました。
日本にいた頃は、外国人を前にして「何か話さなければ」と思った瞬間に、喉の奥がギュッと締まるような強い緊張と恐怖、そして強烈なプレッシャーを感じていました。「間違えたらどうしよう、変な英語を話してバカにされるんじゃないか」という防衛本能です。しかし、どれだけめちゃくちゃな単語の羅列でも、相手が笑顔で「OK、つまりこういうことだろ?」と理解してくれたという小さな成功体験の積み重ねが、その緊張を少しずつ、強固な「自信」へと塗り替えていく感覚がありました。英語は自分をジャッジして落とすための拷問器具ではなく、ただの「目の前の人と意思を通わせるための、最高に便利な道具」なんだと、脳汁が出るような快感とともに理解した瞬間でした。ここから、私の向き合い方は完全に変わりました。
3. 留学中に意識していたこと:沈滅をパージし「Oh! I mistake!」と笑い飛ばす無敵のマインドセット
英語は道具だと割り切ってから、私が留学中に実際の生活、ホストファミリーとの会話、そして現地の学校の教室で英語を使うときに、一番意識していたことがあります。これこそが、ただの日記を「実戦的な生存戦略」に変えるための最もコアな行動指針であり、なまけ流パッキングのように不要な思考を引き算した結果です。それは、
「間違えてもいいから、とにかく伝える努力をすること」
という、圧倒的なアウトプット至上主義のマインドセットです。
現地のローカルなコミュニティで生き残るために、私は「この文法は合っているだろうか」「Sはつくんだっけ、過去形はどうだっけ」と頭の中で作文を確認するために脳のメモリを消費することを完全にやめました。それよりも、会話の途中でフリーズして「沈黙」を作ってしまうことを最大の悪、最大のストレス要因として徹底的に排除しました。どんなに不格好で、単語単体で叫ぶような形であっても、自分の言葉で何かをその場で即座に伝えようとすることを最優先にしたのです。なぜなら、海外のコミュニケーションの現場において、沈黙は「私はあなたと話す気がありません」という拒絶のサインと捉えられかねないからです。喋らない奴は、存在していないのと同じ。その厳しい現実を前に、私はとにかく口を動かし続けました。
もちろん、最初からそんなに完璧に割り切れたわけではありません。最初の数週間は、自分の口から出た英語の時制が間違っていたり、発音が通じなかったりするたびに、たまらなく恥ずかしかったです。周りのネイティブたちの流暢な会話を聞くたびに、自分の無力さに勝手に劣等感を抱いて、部屋に帰って枕に顔を埋めたくなる夜もありました。
でも、毎日毎日、強制的に言葉の打席に立たされ続けるうちに、私のマインドは完全に進化を遂げました。言葉に詰まったり、明らかな文法ミスや恥ずかしい単語の間違いをやらかした瞬間に、日本の学校の授業のようにはにかんで下を向くのを一切やめて、
「Oh! I mistake!」
と、自分から大声で笑ってその場を済ませられるようになったのです。こちらが変なプライドを捨てて、明るく「あ、間違えちゃったわ!」と笑い飛ばせば、現地のホストマザーも学校の友達も「ノープロブレム!」と爆笑しながら、「こういう時はこう言うんだよ」と正しい生きた表現をその場で教えてくれます。この無敵の精神、恥をかくことをエンタメにするマインドを手に入れてからは、間違えること自体を、頭の中でほとんど気にしなくなっている自分を発見しました。プライドという余計な重量をカバンからパージして、恥をかくリスクをスマートに受け入れることこそが、なまけ流・最強の成長ハックだったのです。
4. 今振り返って思うこと:関係詞whenは「〜の時」で十分。ガチガチの文法主義を捨てる実用論
数々の失敗と笑い話を経験し、20歳になった今のコックピットから、当時の自分の足跡を冷静に振り返って強く思うのは、「あのとき、日本の英語教育や受験対策が押し付けてくるような、ガチガチの細かい文法練習や完璧主義にこだわりすぎなくて、本当に、本当に本当によかった」ということです。
もちろん、誤解しないでほしいのですが、言語を構成するための最低限の基礎(主語と動詞が並ぶといった、中学1〜2年生レベルの極めて簡単なルール)が大事なのは言うまでもありません。最低限の枠組みがないと、さすがに通じない局面というのも現実には存在します。しかし、だからといって、日本の教科書に載っているような重箱の隅をつつくような文法を、隅から隅まで完璧にする必要なんて、全く、1ミリもないと思います。そんなものを完璧にしてから話そうとしていたら、私はいつまで経っても現地で最初の一歩を踏み出せず、機会そのものを全て全力で避け、部屋の殻に閉じこもって、私の留学生活はただの虚無として壊滅していたはずです。文法を完璧にする暇があるなら、軽く覚えておくくらいで現場にはじゅうぶんなのです。
例えば、日本の英語の授業で多くの人が発狂し、英語を嫌いになる原因の筆頭である「関係代名詞」や「関係副詞」の用法。先行詞が人で、主格だからwhoで、制限用法がどうだの……あんな学者みたいな分析は、実際の会話の現場では1ミリの価値もありません。そんな脳内作文をやっていたら、会話のスピードについていけず一瞬で置いていかれます。関係詞のwhenなんて、学校の分厚い参考書を開かなくても、ただシンプルに「〜の時、」という超ざっくりとしたイメージだけを頭に覚えておくだけでいいのです。それだけを頭の片隅に忍ばせておけば、実際の会話ではある程度は相手に100%伝わります。「私がアデレードに着いた時」なら、“When I arrived at Adelaide...” と、その単語を置くだけでいい。その程度の軽い装備で、オーストラリアの街は普通に大冒険できます。複雑な構文を脳内でこねくり回してフリーズするくらいなら、シンプルな中学生レベルの単語をパッションと勢いで繋ぐほうが、遥かに合理的で、スマートで、なまけ流として正しい時間の使い方なのです。
5. 最後に:当時の自分に一言だけ言うとしたら「そんな勉強するくらいなら、英語を話せ」
パッキングの重量を削ってLCCの7kg制限をスマートに突破するように、英語学習からも「完璧主義」という重すぎるメンタルの荷物を引き算したこと。それこそが、私が英語という言語の波に慣れ、現地のコミュニティに自分の居場所をスマートにこじ開けて生き残るための、最大の近道であり、唯一の正解でした。
もし、今の20歳になった私が、日本の自室で英語のテストの点数を見て「どうせ勉強したって意味分からんし、できなくても困らないし…」とふてくされて壁を睨みつけていた、あの頃の高校生の自分に一言だけメッセージを送るチャンスが、タイムマシンであるとするならば、私は彼の胸ぐらを掴んで揺さぶる勢いで、間違いなくこう言い放ちます。
「机の上でそんな勉強(つまらないパズル)をダラダラやってるくらいなら、今すぐ外に出て、そのめちゃくちゃなブロークン英語を目の前の人に話せ」
完璧な英文が作れるようになるまで待つのは、人生の時間のドブ捨てです。完璧じゃなくてもいいから、使うことを絶対に避けなかったこと。沈黙という最大のストレスをパージして、間違えたら下を向かずに「Oh! I mistake!」と大声で笑い飛ばしたこと。そのマインドのコックピットを切り替えたことこそが、私の留学生活の滑走路を鮮やかに開通させた本当の鍵でした。
もし今、このブログを画面の向こうで読みながら、「英語が苦手だから海外に行くのが不安だ」「文法に自信がないから一歩が出ない」と怯えて身動きが取れなくなっている人がいるなら、その難しそうな参考書を一度、静かに閉じてみてください。あなたに必要なのは、これ以上知識を詰め込む足し算の勉強ではなく、間違えたときに笑顔で「Oh! I mistake!」と言い放てる、ほんの少しの脱力した、なまけ流の勇気だけです。余計なプライドと不安をトランクから今すぐ破り捨てて、身軽でタフな、新しいコミュニケーションのフライトへテイクオフしましょう!
それでは、また次のフライトでお会いしましょう。良い旅を!
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